2024年8月31日土曜日

0901 炭屋の火の玉神社

 


 今回は、長谷場北部の炭屋の「火の玉神社」のお話。
 地元炭屋班では「皇大神宮」としてお祀りしています。
 朱色の鳥居を新設し、社も綺麗にして、けっこう目立ちます。

火の玉神社の由来

 明治の終り頃、全国各地で神社の「合祀 」(神社の整理統合)が行われていました。それに伴い、各地では反対運動も行われておりました。
 炭屋では神社を東の山に移したところ、それを嫌ってか、西の山に火の玉が出始めたので、それをねらって鉄砲を撃ったとのこと。うわさでそれを見ようと見物客が多数集まり、出店も出て大騒ぎになったらしいのです。
 そこで、現在の西の山に神社を移したところ、火の玉騒ぎは治まった とのことです。


 このような話を元に、旧田沼町では「炭屋の火の玉」という マンガ が作られたりもしました。


 それとは別の話ですが、今から10年以上前に、地元の K.S さんが11月頃の夕方、外に出ると直径 30cm ほどの 火の玉が、南から 青白いノロを引いて、電線の高さ くらいで、田の上をゆっくりと北上 して行く。恐る恐る眺めていたら、北の山にす~と消えていった。
 そして、もう一人の北側の K.O さんは、南から火の玉が自宅に向かって近づいてくるので、怖くなり家に入ってしまった。
 数日後、K.S さんと K.O さんはその話になり、 二人は 同じ火の玉を見たのだと分かったとのこと。
 熱い夏ではなく、11月頃 です。


 しかし、このお二人は残念ながら、既にお亡くなりになっておられます。写真も公式記録もない、口伝えの民間伝承ですが、最近、お二人が経験した話は真実のような気がします。

 さらにごく最近では、神社の上の山峰で、キツネ火を見たという方もいらっしゃいます。

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火の玉神社の空撮
ちょいビデオ






2024年8月23日金曜日

0823 小日向砦(下作原)

 


 地元でも蓬山城や白岩砦、長谷場砦などを知る方はいるでしょうが、下作原の小日向砦は知らないかもしれません。あまり興味がないかもしれませんが、こんなのもあるぞと。


小日向砦の記録

 栃木県誌によると「所在は作原で、小日向山にあり、蓬山城の出城であったという。遺構は見られないが、井戸跡がある。とのことで、詳細は不明。

 現在、大きな松がそびえておりましたが、井戸はなく、掘った窪み跡が数カ所ありました。

 本当に、この尾根に井戸があったのでしょうか ???

 不思議です。それとも場所が違うのかな??


 その後、尾根を伝わって 岳ノ山から 大鳥屋山青木建材の峰を縦走し、下作原の岩獄神社へ降りてきました。

 昔、大鳥屋山の上に畑があったとか。確かに平らで広々としていました。

 このルートはGPS地図がないと迷います。

 ちなみに、白岩には大鳥屋山がありますが、長谷場には小鳥屋山という山があります。この山の上も平です。

 



2024年8月13日火曜日

0814 お盆ですね


 お盆(おぼん)の正式名称は、盂蘭盆会(うらぼんえ)または盂蘭盆(うらぼん)と言われ、 日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事です。


 明治期の太陽暦(新暦)の採用後、新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなり、この田舎の野上でもそれにならっています。

 野上地区では白岩が神道で、御神楽、長谷場、作原は仏教ですが、神道も仏教もお盆の行事はほとんど同じです。


 お盆になると、祭壇などの棚(盆棚)を使ったお盆飾りをすることが一般的で、先祖様をお迎えする場所となります。神道では精霊棚を飾り、米や塩、榊などを備えます。


 盆棚に仏壇(祖霊舎)から出して位牌を並べるので、ご先祖様はそこに滞在するとされており、お供え物や提灯などを並べてもてなします。

 仏教においても神道においても、ご先祖様が自宅に戻り、再びあの世に帰るまで滞在するのは同じとのことです。


 最近では簡易化されているようですが、我が家は仏教でして、昔ながらに毎年飾っています。


 16日が盆送りですが、今年は台風直撃で大雨になるかも。




2024年8月6日火曜日

0807 水稲無人ヘリ防除


 月7日(水)早朝から水稲無人ヘリ防除

 御神楽地区はすでに8月2日に実施し、8月7日は長谷場、白岩、作原地区です。

 

 本日の防除面積は約16ha。

 前日の天気予報では雨が予想され心配しましたが、なんとか実施できました。


 実は開始早々、ヘリが電柱を支えるトラ線に引っ掛かり墜落してしまいました。

 ヘリが壊れ、今日は実施できないかとハラハラしましたが、1時間ほどで予備のヘリが届きまして、その後、防除を再開。

 山間の狭い田んぼで電線も近いですので、操縦には相当神経を使うようです。

 事故のため少々遅れましたが、雨も降らずに、午前中には作原まで終わりました。


 農協担当者、ヘリ操縦者、地区協力員の方々、大変ご苦労様でした。

 以上、地元情報を報告。


 ちょいビデオ




2024年8月2日金曜日

0803 ナラ枯れが広がっている


 ナラ枯れ野上に押し寄せてきています。

 以前は大平山や三毳山、足利の織姫神社周辺で見られました。それが広がって昨年は船越南部や岩崎へ、そして今年は船越北部、御神楽へと広がってきているようです。

 船越の県道や農免道路を走っていていると、春先4月の山桜なら良いのですが、この夏場にクヌギやナラの葉が茶色く枯れて、まるであだ花のようになっています。


 あまりに目立つので、思わず写真を撮ってしまいました。

 広葉樹は秋に葉が枯れて落ちますが、ナラ枯れになると夏場に葉が枯れてしまい、落ちないで枝に残り、いずれ樹木自体も枯れてします。

 松くい虫の松枯れと同じように、ナラ枯れ菌が虫を媒介して広がるようです。

 これがリンゴやナシなどでは大騒ぎですが、現在の野上では原木シイタケ栽培も下火となり、クヌギやナラが枯れても経済的影響は少ないかもしれません。

 観光地などでは景観維持のために伐採や虫の駆除で、とんでもないお金をかけて対策を講じることになるでしょう。

 しかし、自然界の循環に任せるしかないと言う方も少なからずいらっゃいます。

 来年は、もっとひどくなるかもしれません。

 さて、どうなるでしょうか?


野上のかるた





2024年7月27日土曜日

0728 草刈りの実施

 

 本日は菜の花畑の草刈りを実施しました。

 70歳前後の有志12名?が7:30野上センター集合。


 ハンマーナイフ草刈り機3台、ほかは通常の草刈り機です。
全部で 0.7ヘクタールほどありますので、2班に分かれて草刈り開始。


 背丈ほどの草もあり、かなり繁茂しています。

 手持ち草刈り機は畑の畔を、ハンマーナイフ草刈り機は内側を刈ります。

 皆で協力しながら刈り始めましたが、しばらくすると 汗だくとても水分補給と休みながらでなくては、危険な暑さです。ペットボトル2、3本は飲み切りました。

 それでも、10:30頃にはなんとか無事に刈り終わり、ホッとしました。


 さて、来年の春に菜の花が見事に咲いてくれたら、皆の苦労も報われるのですが、どうなるかなあ?

 今後とも皆様のご協力、よろしくお願いいたします。





2024年7月19日金曜日

0720 サル用電気柵の自作

 

 野上は動物王国のようです。

 先日もサルに近所の畑が荒らされました。

 せっかく栽培した野菜が被害にあって、気力が無くす方々も多い状況です。

 そこで、特にサルに有効な電気柵の自作例をひとつ紹介しておきます。

 ちなみに、この電気柵は製作後5年以上経過しますが、一度も入られたことはありません。



 通常の電気柵は、地面(マイナス)に足が着いていて電線(プラス)に触れれば感電します。問題はサルが支柱に登った時に電線に触れても、電流が流れず感電しないことです。いくら電線を蜘蛛の巣のように張り巡らせても、足が地面(マイナス)についていなければ感電しません。

 ポイントは、支柱に飛びついた時に、プラスとマイナスが配線されていて、感電するように製作することです。

 他にはネット下の地中にネットを折り曲げてあるので、掘っても下から侵入しにくくしてあります。地面を掘っている間に下の電線に触れて感電します。


 製作は少々面倒ですが、費用は通常の電気柵とほぼ同じです。あとはやる気と労力あるのみです。

 一度作ってしまえば効果は抜群だと思います。

 当然、シカやイノシシ、ハクビシン、アライグマなども入れません。



 メンテナンスは、通常の電気柵と同様に、配線周りの除草や通電状況の確認は必要です。

電線は長年使用していると劣化して断線していることもありますので、時々チェックしてください。


 以上、家庭菜園のサルに特化した電気柵の一例ですが、参考にしてください。

 製作に際して、自分が感電しないように気を付けて下さい。



猿サル猿サル猿サル猿サル猿サル




 いつも、俺たちは腹ペコさ。

 何でも食べるし、気も荒いぜ。

 邪魔する奴は男でも女でも、嚙みつくぜ !! 人間様は気を付けてくれよな。

 どうする~ ??




 


2024年7月15日月曜日

0716 蓬山ログビレッジ


 蓬山ログビレッジ




 雨でしたが、孫と遊んできましたので、最近の状況
 フィッシングにはマイクロバス2台で子供たちがたくさんいました。
 夏休み期間(7/20~)は、毎日営業とのことで担当の方たちはうれしい悲鳴でしょうか?


 ログビレッジ遊具は、池に水が入って楽しそうです。
 バーベキュー宿泊棟お風呂も利用でき、野菜も売っていました。
 そして、レストランのソバも上々です。

 作原の方々も頑張ってますね。




 野上のかるた



 もうすぐ夏休みです。また、孫が遊びに来たら行ってみようかな?

 あっ、傘を忘れてきた。




2024年7月9日火曜日

0710 悠久の長谷場城

 

(HASEBA REPORT再掲)

 長谷場城(砦)に登って参りました(2022,02,27)
 地元に長年住んでいても、知らない方々が多くいらっしゃいます。


 登る途中に一部補助ロープが設置され、登山道らしき道も残っていておりました。以前登った小又の寄居城や白岩城には無かったものです。(誰かが整備してくれたみたい。)

田沼町史によりますと(抜粋)
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長谷場城
 種 別------
 所在地------ 長谷場
 立地形態--- 山頂、山腹、尾根
 遺 構------ 堀、曲輪、土塁
 長谷場城は標高約400mの扇山山頂付近に遺構が見られる。山頂は削平され、東西約60m、南北約10mの曲輪となっている。山頂周辺に曲輪が数多く見られ、曲輪の数がきわめて多いことがこの砦の特色といえる。
 この砦は藤原秀郷が築いたものと言われるが、戦国期のころのものか。
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 頂上には、祠と石像が一つずつありましたが、散らばっており、石像は首がありません。
 首を探しましたが残念ながら、見つかりませんでした。

 あまりに無残でしたので、地元の者として立て直して参りました。

 町史のとおり、頂上付近には曲輪の跡が多く見られ、頂上は削られ広々としています。堀切もわかります。

 高い木々が繁茂し、見晴らしは良くありません
 当時は、小又の寄居城を見下ろし、北には白岩城南には佐野の唐沢城まで見渡せたでしょう。


 その後、北隣の標高416mの山へ、それから尾根を伝い大鳥籠神社方面に下山。



 HASEBA REPORTの再掲で申し訳ありませんが、このような地元の歴史を知っておいても損ではないでしょう?

 なに、おもしろくないって ?  残念 !! 






2024年7月3日水曜日

0705 旧近沢林道へ久々に

 


 今年の4月15日に作原沢入線が開通し、さっそく行ってみた方もいると思います。

 野上では、このような峰越え林道がいくつかありますが、そのひとつに作原町から飛駒町へトンネルで抜ける近沢林道があります。今ではトンネルで便利になりましたが、トンネルができる前の林道がまだあるのはご存じでしょう。


近沢峠(野上のかるた)


 今では旧近沢林道は、林業関係者しか利用してないように思われます。

 そこで、この3月に行って、林道の状況をYouTubeにアップしてみました。素人のしょうもない映像ですが、今までに100回以上は閲覧されているようで、不思議。

 興味のある方はご覧ください。

2024/03/15撮影

 YouTube



クマが出そうで、ちょっと怖いかも。





2024年6月30日日曜日

0701 ホタルかご

 


 今年はホタルがいつものより多く飛んでいたような気がします。例年、白岩のオカリナの里ではホタルまつりを実施しています。


 ほたる (野上のかるた)


 むかしむかし、そのむかし、野上の子供たちは菜の花の枯れた枝を集めてホウキにし麦わらのホタルかごを作って、ホタルを取りにいきました。
 夕方の暗い中、畦道の蛇を怖がりながら、年上の子供に連れられて、河原近くまで行った記憶があります。
 今では、とてもできませんが、そんな遊びもあったのです。お年寄りの中には、ホタル取りを思い出す人もいるかもしれません。


 その時作ったホタルかごですが、記憶はあるのですが、作り方を忘れてしまいました。
 ネットで調べたら、わかりましたので作ってみたら、これがなかなか難しいのです。
 もしかしたら、自分で作ったのではなく、親に作ってもらったのかもしれません。

 ホタルが逃げ放題のホタルかごですが、四苦八苦しながら、ふたつ作ってみました。
 ひとつ目より、二つ目の方が上手くできたと思います。

 しかし、こんな形だったのかなあ?






2024年6月28日金曜日

0630 忍城・蓬山城

 (HASEBA REPORTの再掲です。)


 周知のとおり、蓬山は作原町の蓬山ログビレッジの上にある山です。(ビレッジのソバはなかなか美味いですよ。)
 そして、蓬山城は佐野氏唐沢山城の最後の砦として、野上地区においては大きな存在であったと思われます。


野上のかるた



田沼町史によりますと(抜粋)

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 標高約390m、北西に尾根が続く。周辺にいくつもの曲輪、堀切がみられ、藤原秀郷が築いたといわれる。

 また、忍城 といい佐野氏が万一の場合に備えたものと言われる。作原の在地領主の砦と考えられ、また北方の藤四(氏)館、小日向砦との関係から佐野氏の北の守りと考えられる。

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位 置 図----2022/03/26登山ルート

030

岳ノ山からの眺望予想図

 現在、南からの登山コースは柵や倒木等で厳しいらしいので、登りは北からの山林作業道を利用し、下りは南コースを利用させて頂きましたが、やはり南コースは荒れていました。

 登上げは約130m、ゆっくり登って約 30 分で尾根に出ることができました。

 尾根には確かに曲輪や堀切の形跡があり、素人でも分かります。

 頂上には石垣を積まれた 祠が 3 つほど鎮座し、目の前に岳ノ山が良く見えます。昔とは違うかもしれませんが、なるほど、このような景色だったのかと。(当時の城の周囲は、全て伐採されていた。)

頂上付近の祠

蓬山城から岳ノ山の眺望


佐野氏 最後 の 砦  

 佐野氏は、1614年にお取り潰しとなり、唐沢山城田沼側の栃本はお留山(入山や伐採禁止)のまま、城の遺構が保存されることとなります。(冷凍保存みたい?) その時点で、この蓬山城も廃城になったらしい。

 野上地区は、長谷場城(砦)寄居城(砦)白岩城(砦)小日向城(砦)、最北の藤四(氏)館、そして、この最後の砦「蓬山城」などいくつもの砦・城などの遺構があり、佐野氏唐沢山城との関係が非常に深い地域であったようです。

 そのためか、この地域には「清和源氏」の家系の方もいるとか。当時、城や砦を守っていた人たちがそれぞれ地元にいたはずですので、その子孫が残っていても不思議ではありません。


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ヘッ、へッ~ !!

今は、オイラ達が守っているのさ。

人間様には、感謝してもらいたいものだ ってかあ。


これは、言い過ぎましたm( _ )m



 (この記事は、2022/03/26 HASEBA REPORTの再掲です。)






2024年6月23日日曜日

0625 野上のかるた

 


 数年前に野上を考える会会長から「野上のかるた」を預かりました。

野上のかるた

 製作---旧野上小学校の児童とPTA

 趣旨--- 野上は古い歴史と名所や自然に恵まれており、ふるさとを児童たちに理解させ、郷土愛を育てたい。そして、かるたを活用することで家庭でのあたたかいふれあいの場をつくりたい。

 完成--- 昭和62年(1987) 12月15日--- 37年前

 保管--- 当時校長だった方が保管し、現在の考える会会長に託した。




 そういえば、先日(6月23日)は旗川のあゆの解禁日とのことでした。

 渡良瀬漁業では前日(22)に成魚鮎を440kg放流。
 稚鮎は5月から二回放流済みだそうです。
 野上の鮎は水がきれいなためか、非常に美味しい
 野上のブランドになるかもしれません。

 組合員の方々は、草刈りやロープ張りなど、暑い中、大変ご苦労さまでございます。

 さて、太公望たちの成果はどうだったでしょうか?





 かるたは、考える会会長が、会の活動に何か役立てればと元校長から預かったものです。かるたの内容がひと昔・ふた昔前のものでしたので、その後預かった私が取り扱いが難しく、ただただ保管しておりました。

 今後は、ブログのネタに利用できるものがあれば、利用していきたいと思います。







2024年6月21日金曜日

0622 風雲・白岩山城(砦)



 この記事は、以前の長谷場町会「HASEBA REPORT」の再掲載です。長谷場の方たちは見たこともあるかもしれませんが、今のところ、載せるネタがありませんので、つなぎとして掲載することにいたしました。


 正月3日(2022.01.03)白岩山城に登って参りました。 (夏場は山ビルがいるのでやめましょう)
 白岩2名、長谷場2名、有志2名の6名。
 長年、地元に住んでいても、なかなか登る機会はありません。


 田沼町史によりますと(抜粋)
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種       別 ---- 
立地形態 ----  山腹(山頂付近)・尾根
遺       構 ----  堀切、曲輪、石垣

 白岩山城は白岩山(通称雷電山)の山頂付近の山腹と尾根上に遺構がみられる。標高420m。

 山頂周辺にいくつもの曲輪や石垣、堀切がある。築、廃城は不明であるが、戦国時代に砦として築かれたと思われる。また、蓬山城の第三の出城というところから、蓬山城や唐沢山城と関係があるものか。

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白岩山城跡の祠

 白岩オカリナの里9:00出発⇒城山頂9:50着

 山頂は尖った崖で、周りには掘った跡の曲輪がいくつか見られます。先日、登った小又の寄居城と未踏の長谷場城が木々の間から眺望できます。

 白岩山城からは佐野の唐沢山城は見えませんが、長谷場城からは直距離10km先に見えたはずです。

 しかし、白岩山城のすぐ近くに、佐野氏と同じ名前の唐沢山があるのは不思議な感じです。



 10:15白岩山城発⇒11:30休憩576m山頂(祠)
 途中「柿平村」との祠があり、山を越えての交流を確認。

柿平村の祠

 12:00 唐沢山頂554.9m。


 ここまで来ると360度。

 北は男体山、大鳥屋山、熊鷹山、遠く東に筑波山や南に東京スカイツリー、西に榛名山まで眺望できます。

 14:00 オカリナの里帰還。

 行程4km5時間
 オカリナの里が標高150mとして、白岩山城とは標高差270m、唐沢山とは400mくらいの登山です。


 

 以上のような、地元記事がいくつかありますので、時々、つなぎで載せたいと思っています。
 そして、地元の方々からの情報をお待ちしておりますので、ご協力お願い申し上げます。







2024年6月18日火曜日

0618 野上を考える会ブログ開始

 


 先日の6月13日(木)に野上を考える会役員会及び第9回物産市担当者会議が開催され、物産市の反省や今後の部会メンバーの再編成が行われました。

 その中で、広報部会が新設され、ネットによるブログを公開することになりましたので、この度から開始いたします。

 今後、考える会や地元情報などを掲載していきますので、よろしくお願いいたします。


 まずは、6月13日会議の概略を掲載します。

●第9回野上物産市(5/4)の反省

 この度、白岩農村公園でオカリナの里とコラボで実施したが、駐車場が狭く来場者に迷惑をかけてしまうため、今後は春、秋とも、野上基幹集落センター(野上支所)で実施していく。なお、オカリナの里とは今後とも連携していく。

●組織の再編成

 今までの農林部会、観光部会、福祉部会に加え、移住定住部会、広報部会を新設され、改めて部会長及び副部会長が選任された。

●移住定住部会、広報部会の今後の作業予定

 移住定住部会を中心にNPOや佐野市との連携を図り、さらなる具体策を検討する。

 広報部会で活動状況など地域への情報発信を充実させる。

●ささえあい活動助成金の活用

 佐野市社会福祉協議会活動助成金の活用で、椅子やテーブルを購入し、物産市を含め地元交流などに利用する。


    ===以上===


広報部会 副部会長コメント

  今後、この野上を考える会ブログを運営していきますが、私自身そう高いアンテナが持っているわけではありませんので、会員皆様からの様々な情報を期待いたします。

 なお、このブログは誰でも閲覧できるインターネットで公開されるため、個人情報などについては控えさせて頂きます。





0901 炭屋の火の玉神社

   今回は、長谷場北部の 炭屋の「火の玉神社」 のお話。  地元炭屋班では 「皇大神宮」 としてお祀りしています。  朱色の鳥居を新設し、社も綺麗にして、けっこう目立ちます。 火の玉神社の由来  明治の終り頃、全国各地で神社の「合祀 」(神社の整理統合)が行われていました。それ...