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2024年11月1日金曜日

1102 小又の寄居城

 


 今回は小又の「寄居城」です。

 旧野上小の南、旗川に接して県道が狭い所で、俗に日陰淵と言われている上の山です。

 

 田沼町史によりますと

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・種別--------砦

・所在地-----長谷場

・立地形態---山頂、山腹、尾根

・遺構--------堀切、曲輪

  寄居山と称する旗川に面した標高約240mの山頂付近一帯に遺構がみられる。

 寄居山は旗川と小又沢の合流点に位置し、北西に尾根が続く。

 また、小又は閑馬方面への道筋でもある・・・・・・・・・・

 築・廃城は不明である。

 この砦は東北に位置する長谷場城との関連があるものと思われる。

 主に眼下に位置する道路に対する番所的なものであろうか。

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と記載されています。

 


 道がないため直登し、往復で約1時間30分ほど、標高234m。

 現在、山頂には石の祠が一つ鎮座しております。



 この山の下の小又側には、元長谷場小中学校の以前の学校があったと聞いております。

 また、白岩には宇都宮神社の北側に学校があり、合併して元長谷場小中学校になったとも。

 いずれも、明治時代後半のお話です。





2024年8月31日土曜日

0901 炭屋の火の玉神社

 


 今回は、長谷場北部の炭屋の「火の玉神社」のお話。
 地元炭屋班では「皇大神宮」としてお祀りしています。
 朱色の鳥居を新設し、社も綺麗にして、けっこう目立ちます。

火の玉神社の由来

 明治の終り頃、全国各地で神社の「合祀 」(神社の整理統合)が行われていました。それに伴い、各地では反対運動も行われておりました。
 炭屋では神社を東の山に移したところ、それを嫌ってか、西の山に火の玉が出始めたので、それをねらって鉄砲を撃ったとのこと。うわさでそれを見ようと見物客が多数集まり、出店も出て大騒ぎになったらしいのです。
 そこで、現在の西の山に神社を移したところ、火の玉騒ぎは治まった とのことです。


 このような話を元に、旧田沼町では「炭屋の火の玉」という マンガ が作られたりもしました。


 それとは別の話ですが、今から10年以上前に、地元の K.S さんが11月頃の夕方、外に出ると直径 30cm ほどの 火の玉が、南から 青白いノロを引いて、電線の高さ くらいで、田の上をゆっくりと北上 して行く。恐る恐る眺めていたら、北の山にす~と消えていった。
 そして、もう一人の北側の K.O さんは、南から火の玉が自宅に向かって近づいてくるので、怖くなり家に入ってしまった。
 数日後、K.S さんと K.O さんはその話になり、 二人は 同じ火の玉を見たのだと分かったとのこと。
 熱い夏ではなく、11月頃 です。


 しかし、このお二人は残念ながら、既にお亡くなりになっておられます。写真も公式記録もない、口伝えの民間伝承ですが、最近、お二人が経験した話は真実のような気がします。

 さらにごく最近では、神社の上の山峰で、キツネ火を見たという方もいらっしゃいます。

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火の玉神社の空撮
ちょいビデオ






2024年8月23日金曜日

0823 小日向砦(下作原)

 


 地元でも蓬山城や白岩砦、長谷場砦などを知る方はいるでしょうが、下作原の小日向砦は知らないかもしれません。あまり興味がないかもしれませんが、こんなのもあるぞっと。


小日向砦の記録

 栃木県誌によると「所在は作原で、小日向山にあり、蓬山城の出城であったという。遺構は見られないが、井戸跡がある。」とのことで、詳細は不明。

 現在、大きな松がそびえておりましたが、井戸はなく、掘った窪み跡が数カ所ありました。

 本当に、この尾根に井戸があったのでしょうか ???

 不思議です。それとも場所が違うのかな??


 その後、尾根を伝わって 岳ノ山から 大鳥屋山、青木建材の峰を縦走し、下作原の岩獄神社へ降りてきました。

 昔、大鳥屋山の上に畑があったとか。確かに平らで広々としていました。

 このルートはGPS地図がないと迷います。

 ちなみに、白岩には大鳥屋山がありますが、長谷場には小鳥屋山という山があります。この山の上も平です。

 



2024年7月9日火曜日

0710 悠久の長谷場城

 

(HASEBA REPORT再掲)

 長谷場城(砦)に登って参りました(2022,02,27)。
 地元に長年住んでいても、知らない方々が多くいらっしゃいます。


 登る途中に一部補助ロープが設置され、登山道らしき道も残っていておりました。以前登った小又の寄居城や白岩城には無かったものです。(誰かが整備してくれたみたい。)

田沼町史によりますと(抜粋)
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長谷場城
 種 別------ 砦
 所在地------ 長谷場
 立地形態--- 山頂、山腹、尾根
 遺 構------ 堀、曲輪、土塁
 長谷場城は標高約400mの扇山山頂付近に遺構が見られる。山頂は削平され、東西約60m、南北約10mの曲輪となっている。山頂周辺に曲輪が数多く見られ、曲輪の数がきわめて多いことがこの砦の特色といえる。
 この砦は藤原秀郷が築いたものと言われるが、戦国期のころのものか。
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 頂上には、祠と石像が一つずつありましたが、散らばっており、石像は首がありません。
 首を探しましたが残念ながら、見つかりませんでした。

 あまりに無残でしたので、地元の者として立て直して参りました。

 町史のとおり、頂上付近には曲輪の跡が多く見られ、頂上は削られ広々としています。堀切もわかります。

 高い木々が繁茂し、見晴らしは良くありません。
 当時は、小又の寄居城を見下ろし、北には白岩城、南には佐野の唐沢城まで見渡せたでしょう。


 その後、北隣の標高416mの山へ、それから尾根を伝い大鳥籠神社方面に下山。



 HASEBA REPORTの再掲で申し訳ありませんが、このような地元の歴史を知っておいても損ではないでしょう?

 なに、おもしろくないって ?  残念 !! 。






2024年6月28日金曜日

0630 忍城・蓬山城

 (HASEBA REPORTの再掲です。)


 周知のとおり、蓬山は作原町の蓬山ログビレッジの上にある山です。(ビレッジのソバはなかなか美味いですよ。)
 そして、蓬山城は佐野氏唐沢山城の最後の砦として、野上地区においては大きな存在であったと思われます。


野上のかるた



田沼町史によりますと(抜粋)

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 標高約390m、北西に尾根が続く。周辺にいくつもの曲輪、堀切がみられ、藤原秀郷が築いたといわれる。

 また、忍城 といい佐野氏が万一の場合に備えたものと言われる。作原の在地領主の砦と考えられ、また北方の藤四(氏)館、小日向砦との関係から佐野氏の北の守りと考えられる。

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位 置 図----2022/03/26登山ルート

030

岳ノ山からの眺望予想図

 現在、南からの登山コースは柵や倒木等で厳しいらしいので、登りは北からの山林作業道を利用し、下りは南コースを利用させて頂きましたが、やはり南コースは荒れていました。

 登上げは約130m、ゆっくり登って約 30 分で尾根に出ることができました。

 尾根には確かに曲輪や堀切の形跡があり、素人でも分かります。

 頂上には石垣を積まれた 祠が 3 つほど鎮座し、目の前に岳ノ山が良く見えます。昔とは違うかもしれませんが、なるほど、このような景色だったのかと。(当時の城の周囲は、全て伐採されていた。)

頂上付近の祠

蓬山城から岳ノ山の眺望


佐野氏 最後 の 砦  

 佐野氏は、1614年にお取り潰しとなり、唐沢山城田沼側の栃本はお留山(入山や伐採禁止)のまま、城の遺構が保存されることとなります。(冷凍保存みたい?) その時点で、この蓬山城も廃城になったらしい。

 野上地区は、長谷場城(砦)、寄居城(砦)、白岩城(砦)、小日向城(砦)、最北の藤四(氏)館、そして、この最後の砦「蓬山城」などいくつもの砦・城などの遺構があり、佐野氏唐沢山城との関係が非常に深い地域であったようです。

 そのためか、この地域には「清和源氏」の家系の方もいるとか。当時、城や砦を守っていた人たちがそれぞれ地元にいたはずですので、その子孫が残っていても不思議ではありません。


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ヘッ、へッ~ !!

今は、オイラ達が守っているのさ。

人間様には、感謝してもらいたいものだ ってかあ。


これは、言い過ぎましたm( _ )m



 (この記事は、2022/03/26 HASEBA REPORTの再掲です。)






2024年6月21日金曜日

0622 風雲・白岩山城(砦)



 この記事は、以前の長谷場町会「HASEBA REPORT」の再掲載です。長谷場の方たちは見たこともあるかもしれませんが、今のところ、載せるネタがありませんので、つなぎとして掲載することにいたしました。


 正月3日(2022.01.03)、白岩山城に登って参りました。 (夏場は山ビルがいるのでやめましょう)
 白岩2名、長谷場2名、有志2名の6名。
 長年、地元に住んでいても、なかなか登る機会はありません。


 田沼町史によりますと(抜粋)
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種       別 ----  砦
立地形態 ----  山腹(山頂付近)・尾根
遺       構 ----  堀切、曲輪、石垣

 白岩山城は白岩山(通称雷電山)の山頂付近の山腹と尾根上に遺構がみられる。標高420m。

 山頂周辺にいくつもの曲輪や石垣、堀切がある。築、廃城は不明であるが、戦国時代に砦として築かれたと思われる。また、蓬山城の第三の出城というところから、蓬山城や唐沢山城と関係があるものか。

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白岩山城跡の祠

 白岩オカリナの里9:00出発⇒城山頂9:50着

 山頂は尖った崖で、周りには掘った跡の曲輪がいくつか見られます。先日、登った小又の寄居城と未踏の長谷場城が木々の間から眺望できます。

 白岩山城からは佐野の唐沢山城は見えませんが、長谷場城からは直距離10km先に見えたはずです。

 しかし、白岩山城のすぐ近くに、佐野氏と同じ名前の唐沢山があるのは不思議な感じです。



 10:15白岩山城発⇒11:30休憩576m山頂(祠)
 途中「柿平村」との祠があり、山を越えての交流を確認。

柿平村の祠

 12:00 唐沢山頂554.9m。


 ここまで来ると360度。

 北は男体山、大鳥屋山、熊鷹山、遠く東に筑波山や南に東京スカイツリー、西に榛名山まで眺望できます。

 14:00 オカリナの里帰還。

 行程4km、5時間。
 オカリナの里が標高150mとして、白岩山城とは標高差270m、唐沢山とは400mくらいの登山です。


 

 以上のような、地元記事がいくつかありますので、時々、つなぎで載せたいと思っています。
 そして、地元の方々からの情報をお待ちしておりますので、ご協力お願い申し上げます。







1117 野上物産市の開催

 本日は 野上物産市の開催 。  昨日は準備で、本日は朝8時集合。  10時から 野上民舞会 のオープニングで開催しました。  それから、 オカリナコンサート 。  しばらくすると、 ツールド奥佐野の自転車たち が次々と到着し、 てんやわんや で、椅子が足りなくなる始末。   こ...