2024年6月30日日曜日

0701 ホタルかご

 


 今年はホタルがいつものより多く飛んでいたような気がします。例年、白岩のオカリナの里ではホタルまつりを実施しています。


 ほたる (野上のかるた)


 むかしむかし、そのむかし、野上の子供たちは菜の花の枯れた枝を集めてホウキにし麦わらのホタルかごを作って、ホタルを取りにいきました。
 夕方の暗い中、畦道の蛇を怖がりながら、年上の子供に連れられて、河原近くまで行った記憶があります。
 今では、とてもできませんが、そんな遊びもあったのです。お年寄りの中には、ホタル取りを思い出す人もいるかもしれません。


 その時作ったホタルかごですが、記憶はあるのですが、作り方を忘れてしまいました。
 ネットで調べたら、わかりましたので作ってみたら、これがなかなか難しいのです。
 もしかしたら、自分で作ったのではなく、親に作ってもらったのかもしれません。

 ホタルが逃げ放題のホタルかごですが、四苦八苦しながら、ふたつ作ってみました。
 ひとつ目より、二つ目の方が上手くできたと思います。

 しかし、こんな形だったのかなあ?






2024年6月28日金曜日

0630 忍城・蓬山城

 (HASEBA REPORTの再掲です。)


 周知のとおり、蓬山は作原町の蓬山ログビレッジの上にある山です。(ビレッジのソバはなかなか美味いですよ。)
 そして、蓬山城は佐野氏唐沢山城の最後の砦として、野上地区においては大きな存在であったと思われます。


野上のかるた



田沼町史によりますと(抜粋)

+++++++++++++++++++++++++++

 標高約390m、北西に尾根が続く。周辺にいくつもの曲輪、堀切がみられ、藤原秀郷が築いたといわれる。

 また、忍城 といい佐野氏が万一の場合に備えたものと言われる。作原の在地領主の砦と考えられ、また北方の藤四(氏)館、小日向砦との関係から佐野氏の北の守りと考えられる。

+++++++++++++++++++++++++++

位 置 図----2022/03/26登山ルート

030

岳ノ山からの眺望予想図

 現在、南からの登山コースは柵や倒木等で厳しいらしいので、登りは北からの山林作業道を利用し、下りは南コースを利用させて頂きましたが、やはり南コースは荒れていました。

 登上げは約130m、ゆっくり登って約 30 分で尾根に出ることができました。

 尾根には確かに曲輪や堀切の形跡があり、素人でも分かります。

 頂上には石垣を積まれた 祠が 3 つほど鎮座し、目の前に岳ノ山が良く見えます。昔とは違うかもしれませんが、なるほど、このような景色だったのかと。(当時の城の周囲は、全て伐採されていた。)

頂上付近の祠

蓬山城から岳ノ山の眺望


佐野氏 最後 の 砦  

 佐野氏は、1614年にお取り潰しとなり、唐沢山城田沼側の栃本はお留山(入山や伐採禁止)のまま、城の遺構が保存されることとなります。(冷凍保存みたい?) その時点で、この蓬山城も廃城になったらしい。

 野上地区は、長谷場城(砦)寄居城(砦)白岩城(砦)小日向城(砦)、最北の藤四(氏)館、そして、この最後の砦「蓬山城」などいくつもの砦・城などの遺構があり、佐野氏唐沢山城との関係が非常に深い地域であったようです。

 そのためか、この地域には「清和源氏」の家系の方もいるとか。当時、城や砦を守っていた人たちがそれぞれ地元にいたはずですので、その子孫が残っていても不思議ではありません。


################################



ヘッ、へッ~ !!

今は、オイラ達が守っているのさ。

人間様には、感謝してもらいたいものだ ってかあ。


これは、言い過ぎましたm( _ )m



 (この記事は、2022/03/26 HASEBA REPORTの再掲です。)






2024年6月23日日曜日

0625 野上のかるた

 


 数年前に野上を考える会会長から「野上のかるた」を預かりました。

野上のかるた

 製作---旧野上小学校の児童とPTA

 趣旨--- 野上は古い歴史と名所や自然に恵まれており、ふるさとを児童たちに理解させ、郷土愛を育てたい。そして、かるたを活用することで家庭でのあたたかいふれあいの場をつくりたい。

 完成--- 昭和62年(1987) 12月15日--- 37年前

 保管--- 当時校長だった方が保管し、現在の考える会会長に託した。




 そういえば、先日(6月23日)は旗川のあゆの解禁日とのことでした。

 渡良瀬漁業では前日(22)に成魚鮎を440kg放流。
 稚鮎は5月から二回放流済みだそうです。
 野上の鮎は水がきれいなためか、非常に美味しい
 野上のブランドになるかもしれません。

 組合員の方々は、草刈りやロープ張りなど、暑い中、大変ご苦労さまでございます。

 さて、太公望たちの成果はどうだったでしょうか?





 かるたは、考える会会長が、会の活動に何か役立てればと元校長から預かったものです。かるたの内容がひと昔・ふた昔前のものでしたので、その後預かった私が取り扱いが難しく、ただただ保管しておりました。

 今後は、ブログのネタに利用できるものがあれば、利用していきたいと思います。







2024年6月21日金曜日

0622 風雲・白岩山城(砦)



 この記事は、以前の長谷場町会「HASEBA REPORT」の再掲載です。長谷場の方たちは見たこともあるかもしれませんが、今のところ、載せるネタがありませんので、つなぎとして掲載することにいたしました。


 正月3日(2022.01.03)白岩山城に登って参りました。 (夏場は山ビルがいるのでやめましょう)
 白岩2名、長谷場2名、有志2名の6名。
 長年、地元に住んでいても、なかなか登る機会はありません。


 田沼町史によりますと(抜粋)
***************************************
種       別 ---- 
立地形態 ----  山腹(山頂付近)・尾根
遺       構 ----  堀切、曲輪、石垣

 白岩山城は白岩山(通称雷電山)の山頂付近の山腹と尾根上に遺構がみられる。標高420m。

 山頂周辺にいくつもの曲輪や石垣、堀切がある。築、廃城は不明であるが、戦国時代に砦として築かれたと思われる。また、蓬山城の第三の出城というところから、蓬山城や唐沢山城と関係があるものか。

***************************************

白岩山城跡の祠

 白岩オカリナの里9:00出発⇒城山頂9:50着

 山頂は尖った崖で、周りには掘った跡の曲輪がいくつか見られます。先日、登った小又の寄居城と未踏の長谷場城が木々の間から眺望できます。

 白岩山城からは佐野の唐沢山城は見えませんが、長谷場城からは直距離10km先に見えたはずです。

 しかし、白岩山城のすぐ近くに、佐野氏と同じ名前の唐沢山があるのは不思議な感じです。



 10:15白岩山城発⇒11:30休憩576m山頂(祠)
 途中「柿平村」との祠があり、山を越えての交流を確認。

柿平村の祠

 12:00 唐沢山頂554.9m。


 ここまで来ると360度。

 北は男体山、大鳥屋山、熊鷹山、遠く東に筑波山や南に東京スカイツリー、西に榛名山まで眺望できます。

 14:00 オカリナの里帰還。

 行程4km5時間
 オカリナの里が標高150mとして、白岩山城とは標高差270m、唐沢山とは400mくらいの登山です。


 

 以上のような、地元記事がいくつかありますので、時々、つなぎで載せたいと思っています。
 そして、地元の方々からの情報をお待ちしておりますので、ご協力お願い申し上げます。







2024年6月18日火曜日

0618 野上を考える会ブログ開始

 


 先日の6月13日(木)に野上を考える会役員会及び第9回物産市担当者会議が開催され、物産市の反省や今後の部会メンバーの再編成が行われました。

 その中で、広報部会が新設され、ネットによるブログを公開することになりましたので、この度から開始いたします。

 今後、考える会や地元情報などを掲載していきますので、よろしくお願いいたします。


 まずは、6月13日会議の概略を掲載します。

●第9回野上物産市(5/4)の反省

 この度、白岩農村公園でオカリナの里とコラボで実施したが、駐車場が狭く来場者に迷惑をかけてしまうため、今後は春、秋とも、野上基幹集落センター(野上支所)で実施していく。なお、オカリナの里とは今後とも連携していく。

●組織の再編成

 今までの農林部会、観光部会、福祉部会に加え、移住定住部会、広報部会を新設され、改めて部会長及び副部会長が選任された。

●移住定住部会、広報部会の今後の作業予定

 移住定住部会を中心にNPOや佐野市との連携を図り、さらなる具体策を検討する。

 広報部会で活動状況など地域への情報発信を充実させる。

●ささえあい活動助成金の活用

 佐野市社会福祉協議会活動助成金の活用で、椅子やテーブルを購入し、物産市を含め地元交流などに利用する。


    ===以上===


広報部会 副部会長コメント

  今後、この野上を考える会ブログを運営していきますが、私自身そう高いアンテナが持っているわけではありませんので、会員皆様からの様々な情報を期待いたします。

 なお、このブログは誰でも閲覧できるインターネットで公開されるため、個人情報などについては控えさせて頂きます。





0901 炭屋の火の玉神社

   今回は、長谷場北部の 炭屋の「火の玉神社」 のお話。  地元炭屋班では 「皇大神宮」 としてお祀りしています。  朱色の鳥居を新設し、社も綺麗にして、けっこう目立ちます。 火の玉神社の由来  明治の終り頃、全国各地で神社の「合祀 」(神社の整理統合)が行われていました。それ...