今回は、長谷場北部の炭屋の「火の玉神社」のお話。
地元炭屋班では「皇大神宮」としてお祀りしています。
朱色の鳥居を新設し、社も綺麗にして、けっこう目立ちます。
地元炭屋班では「皇大神宮」としてお祀りしています。
朱色の鳥居を新設し、社も綺麗にして、けっこう目立ちます。
火の玉神社の由来
明治の終り頃、全国各地で神社の「合祀 」(神社の整理統合)が行われていました。それに伴い、各地では反対運動も行われておりました。
炭屋では神社を東の山に移したところ、それを嫌ってか、西の山に火の玉が出始めたので、それをねらって鉄砲を撃ったとのこと。うわさでそれを見ようと見物客が多数集まり、出店も出て大騒ぎになったらしいのです。
そこで、現在の西の山に神社を移したところ、火の玉騒ぎは治まった とのことです。
炭屋では神社を東の山に移したところ、それを嫌ってか、西の山に火の玉が出始めたので、それをねらって鉄砲を撃ったとのこと。うわさでそれを見ようと見物客が多数集まり、出店も出て大騒ぎになったらしいのです。
そこで、現在の西の山に神社を移したところ、火の玉騒ぎは治まった とのことです。
このような話を元に、旧田沼町では「炭屋の火の玉」という マンガ が作られたりもしました。
それとは別の話ですが、今から10年以上前に、地元の K.S さんが11月頃の夕方、外に出ると直径 30cm ほどの 火の玉が、南から 青白いノロを引いて、電線の高さ くらいで、田の上をゆっくりと北上 して行く。恐る恐る眺めていたら、北の山にす~と消えていった。
そして、もう一人の北側の K.O さんは、南から火の玉が自宅に向かって近づいてくるので、怖くなり家に入ってしまった。
数日後、K.S さんと K.O さんはその話になり、 二人は 同じ火の玉を見たのだと分かったとのこと。
熱い夏ではなく、11月頃 です。
そして、もう一人の北側の K.O さんは、南から火の玉が自宅に向かって近づいてくるので、怖くなり家に入ってしまった。
数日後、K.S さんと K.O さんはその話になり、 二人は 同じ火の玉を見たのだと分かったとのこと。
熱い夏ではなく、11月頃 です。
さらにごく最近では、神社の上の山峰で、キツネ火を見たという方もいらっしゃいます。
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火の玉神社の空撮
ちょいビデオ
ちょいビデオ
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